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zoom RSS 岩井三四二著『江戸へ吹く風』

<<   作成日時 : 2012/08/23 05:05   >>

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時代のド真ん中を行く英雄ではなく、端の端を歩いた無名の人々を書かせたら、右に出る者はいないと言ってもいい小説家岩井三四二さんの時代小説『江戸へ吹く風』である。

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左に出る者はいるかもしれないけどね(^^)/


『江戸へ吹く風』の主人公は、戦国時代、現在の千葉県の房総半島に君臨していた安房里見家の家来の1人里見百人衆の金丸強右衛門(カナマルスネウエモン)である。

千葉県在住となった身としては取り上げないわけにはいかない一冊でありましょう。

ちょっと、おおげさかな?   


千葉の片田舎で戦国時代を生きてきた金丸強右衛門が、考えることも出来なかった巨大な権力に出会って、なんとか生き残ろうとしてのたうちまわる物語である。

時代が移り変わろうとする時を生き抜いた侍の物語である。



里見家といえば、曲亭馬琴の『里見八犬伝』で知られるあの里見家である。


ある意味では戦国覇者のひとつといってもいい大名ではあり、浦賀水道を挟んで、小田原の北条家と小競り合いを繰り返しており、その先方となって戦っていたのが、金丸強右衛門である。

敵の首さえあげれば、恩賞が貰え、領地を増やしてもらえるのであるから、気楽と言えば気楽だったのである。


自分が首になる恐れはあるが、恐れるのは、手柄を立てろ!生活が懸かっているんだ!とせっつく女房だけである。


暴れに暴れて、里見家が、上総から下総まで支配下に置けたのは、譜代の家来である強右衛門たちの働きのおかげであるといえる。


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だが、強右衛門が、関東の片田舎で、暴れているうちに天下は大きく動いていたのである。


北条と小競り合いを繰り返しているうちに、上方で大きな動きがあり、天下の趨勢は定まったのである。


本能寺の変のあと、豊臣秀吉が全国制覇をして天下を取り、天下さまと呼ばれた。


残りは、小田原の北条と九州の島津となった。


他の大物大名は、みな秀吉の前に頭を下げたのである。


里見など小物の大名など眼中になかったが・・・・・


里見家に突然、天下さまから声がかかり、里見家は、北条の領地である小田原にまで出向くことになった。


北条との戦に参加しろ!ということである。



ガヤガヤ・・・・・・・・

天下さまってだれじゃ?


豊臣秀吉様だ。

だれだ、それは?

ガヤガヤ・・・・・・・

尾張の、呑百姓の、顔がサルのような小男というではないか。なんで、そんなやつの言うことを聞かねばならん。
文句があるなら一戦交えればいい。

叩き潰してやればよい。

馬鹿言うでない。

北条の小田原城を取り囲んでいる軍勢だけで20万人以上だぞ。


小田原城に立てこもっている北条は4万人だ。


里見家の我らは1万人にも満たない軍勢だ。


到底、かなうわけがない。


ガヤガヤ・・・・・・・


では、どうするんだ。

頭を下げて家来にしてもらうしかあるまいよ。


それで殿様は頭を下げに小田原まで行くのか・・・・


情けないこったな〜


ガヤガヤ・・・・・ガヤガヤ・・・・・・





などというような話が、金丸強右衛門たち家来の間で交わされていたであろう。

で、里見家の殿様は、頭を下げて豊臣秀吉の家来になった。

だが、頭を下げて来るのが遅いと、上総の領地を取り上げられてしまう。

逆らえば、滅ぼされてしまう。


なんで、汗水たらして命がけで広げた領地を取り上げられるんだ!と強右衛門たちは、歯噛みしたが、逆らえば、北条のように滅ぼされていしまう。

このとき、北条早雲より5代続いた北条家は、6代目の氏直の代で、豊臣秀吉によって滅ぼされて消えてしまったのである。


さらに、千葉県の県名の由来となった千葉氏も潰され、戦国大名としての千葉氏は消えている。この時の31代当主であった千葉重胤は徳川家康の家臣となって生き残るがやがて浪人となり、江戸に出て死んだといわれる。


だから、逆らうわけにはいかず、ただひたすら頭を下げ続け、ご無理ごもっともで豊臣秀吉に仕え続けるしかなかった。


救いは、里見家の殿様里見義康が、豊臣秀吉に気に入られたことである。


大名の中には、顔が気に入らないというだけで、取り潰されたり、家族もろとも火あぶりになったりした者もいる。


豊臣秀吉は、織田信長以上の暴君になっていたのである。


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取り上げられた上総は、徳川家康にあたえられ、関東は徳川家の領地となり、徳川家康が江戸に入り、江戸を家来たちに命じて整備を始め、それまでうらぶれた田舎だった江戸に人が流れ込んでくるようになる。


そこで、強右衛門は、持ち船の通天丸に薪や炭を積みこんで、商いをしに江戸に向かう。


強右衛門は、武士といっても、半農半侍であり、そのうえ船で持って商いもしていたのである。

ふだんは、田畑を耕し、商人のように商売をしていた。


完全な武士というわけではない。


戦国時代の、ほとんどの侍はふだんは田畑を耕していたのである。

いざ、戦というときだけ、刀を持ち、鎧を着て、出撃したのである。

百姓たちも、槍や刀を持っていて、呼ばれれば、足軽として参戦した。

金丸強右衛門は、船まで持って商売に励んでいた。


日本で、完全に人を殺す集団である軍隊を作ったのは、織田信長であり、さらに豊臣秀吉が、刀狩によって、百姓や一般大衆から武器を取り上げることによりそれを完成させ、徳川家康が武家諸法度を作り固定させた。

おかげで、武士は潰しが効かなくなった。


江戸時代、平和になって四苦八苦するのである。



強右衛門も、いずれはどちらかを選ばねばならない。

武器を捨てて百姓になるか?しかし、武器を捨てれば領地や領民を守ることができない。

それに長い間世話になった里見家を捨てるのもためらわれる。


で、どちらつかずの状態で商売を行っていたのである。


まだ、それが許された時代でもあった。


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江戸に行ってみると、何艘もの上方からの巨大な船が山のように京都や大阪からの品物を運んできており、裏寂れていた江戸湾が、祭りのような騒ぎになっていた。


ますます、気持ちが動く強右衛門であった。


しかし、そうこうしているうちに、関ヶ原の合戦が始まり、隣のよしみで、里見家は、徳川家康に味方することになる。

おかげで、徳川が勝利した後、新たな領地をもらえる。


さらには、強右衛門の息子辰右衛門が関ケ原の合戦のおり、徳川家への使者になったことから、徳川家の重臣の1人大久保忠隣と繋がりが出来、里見家のなかで破格の出世をした。


これで我が家も安泰・・・・


と強右衛門が思っていたら、大久保家が徳川家内の勢力争いで負けて、取り潰され、里見家も・・・・・


取り潰されてたまるか!一戦を!という話も沸いたが、いまや徳川のもと、江戸幕府が開かれ、戦争をやった経験者というのは、強右衛門たち、60過ぎの老人たち数名であり、30代、40代のものでさえ、戦いの経験はなく、何十万人という幕府軍相手に勝てるわけもない。



二代目将軍である徳川秀忠は、危険な外様大名を、理屈もへったくれもなく、次から次へと取り潰していたのである。

逆らうことは不可能であり、即、死を意味した。


かくて、金丸強右衛門は、浪人となり、、いまさら再就職もままならない。



しかし、里見家は潰されても、領地はそのまま自分の物なので、田畑を耕して生きる道はある。



政争に嫌気がさした長男辰右衛門が、侍を捨てて家をついで百姓となり、さらに、通天丸に変わる新しい船吉祥丸を作り、二男の亀次郎が、商売をすることになった。



かくして金丸家は、生き残ったのである。



こういうわけもわからず巨大な権力に右往左往させられた無名の侍たちの物語というのは、当時の日本全国であったでありましょうし、いまもあるわけでありますな〜


あいもかわらず、岩井三四二さん独特のユーモアとペーソスのある物語でありました。

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コメント(8件)

内 容 ニックネーム/日時
うーム(唸っているところです。(笑))ねこのひげさんの書評、ほんとにうまいです。すねうえもんさんの驚きと混乱が目に見えます。
実際、今のような情報の流通がまったく無かった時に、突然天下さまがどうのこうのと言われても本当に何のことだか、ですよ。それでも次の代からちゃんと生き延びているということは、混乱しながらも、そして選択肢がいかに限られていても、サバイバルできる道をとってきているんですね。えらいです。
櫻弁当
2012/08/23 09:25
家は鎌倉出身の武士だったらしいですが
つくづく
戦国時代に生まれなくてよかったと思います。
女は政治の道具ですしね。
男はいとも簡単に首を跳ねられてしまう…
いつの時代も富と権力には勝てませんね。


ひまわり
2012/08/23 10:58
☆ 櫻弁当さんへ
お褒めいただき、恐縮しごく<(_ _)>であります。
ありがとうございます<(_ _)>

ほとんどの人間は、あわてている間に滅ぼされたでしょうけどね〜
なんとか生きる道を見つけ出したということでしょう。
ねこのひげ
2012/08/23 18:25
☆ ひまわりさんへ
女性の中にも強い人がいて、女城主になった人や、長刀をふるって暴れた女武者もいたようですけどね。
ねこのひげ
2012/08/23 18:28
秀吉は、老耄してから暴君になった感じですよね。
暴君というか、妖怪っぽいイメージすらありますが^^;
南総里見八犬伝で有名なあの里見家が、そのような波乱万丈を経験していたとは、ホント驚きました。
♪仁義礼智忠信孝悌〜、って、NHKでやってた人形劇の歌に合わせて、今でも覚えています(笑)
キーブー
2012/08/23 21:33
あ〜 また読みたい本が1冊増えてしまった。。。恨みますよ〜〜ねこのひげさんw
マーシャの乳母や
2012/08/23 23:20
☆ キーブーさんへ
関白になってから、天下さまと呼ばれるようになってからが、まるで別人ですよね。
いままで虐げられていた分、爆発したのかもしれませんね。
房総半島を統一したあと、気が付いたら天下は秀吉のものになっていたんですね。
あの人形劇は良かったですね。
辻村寿三郎さんの人形町の美術館に行ったことがあります。
迫力でありました。
ホームページとブログもあって人形が観れますよ。
ねこのひげ
2012/08/24 05:25
☆ マーシャの乳母たさんへ
ありがとうございます。こういうことで、恨まれるならうれしいです。
大いに恨んでくださいヽ(^。^)ノ
ねこのひげ
2012/08/24 05:29

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